池田るき写真

池田るき profile

漫画家
2000年講談社モーニングマグナム増刊「保険Gメン ウキタカ」でデビュー
2003年講談社週刊モーニング「はな椿」連載中に入院、出産
産後は働き方改革。
instagramで和菓子まんが「やらかしたね!白玉ちゃん」配信
広告漫画家に転身。アパホテルグループと取引実績あり
日夜イケメンを集めて、マダムたちの天然アンチエイジングをたくらむ

池田るき前史

36歳のとき、2度目の結婚で男の子を産んだ。
出産ひと月前まで、わたしは、未婚のまま切迫早産で入院中の無職の漫画家だった。

やっとの思いでモーニングという漫画雑誌の連載が始まった途端、妊娠がわかった。当時の彼氏は11歳年下で私はバツイチ。当然相手の親は大反対。でも私は強気だった。何といってもメジャー誌の連載がとれたし、いざとなればひとりでも育てられる。3人のアシスタントを抱えて、寝る間も惜しんで漫画を描いた。ある朝、お腹が鉛を張ったように突っ張り、動けなくなった。受診した産婦人科で、有無を言わさず強制入院。1歩も歩いちゃダメと言われて車椅子に乗っけられた。公衆電話から編集部に電話をいれたとき、「漫画家として、終わった」と思って、泣いた。

最初の結婚と引き換えにしてなった漫画家。元夫とは職場で知り合った。とにかく元夫の顔が好きで「漫画家になりたいから結婚して?」とお願いして結婚してもらった。3年後、デビューが決まったときに、元夫から離婚を切り出された。「漫画家になれたんだから、もういいでしょ」。人生であんなに頑張った時はないと思う。漫画家としてデビューできても、連載がなければただのバツイチニートになってしまう。夜明けまで描いて、描いて、描きまくった。だから、努力すれば、何でも手に入ると思いあがっていた。

自分の身体のことを顧みず、無茶をしてお腹の子の命を危険にさらしてしまった。なんてばかなんだろう。自分でコントロールできないことに初めて打ちのめされて、すっかり自信をなくした。今までみの虫みたいにまとっていた鎧がすっかり剥げ落ちた。

子どもの頃は、いっつも、じれじれしていた。

池田るき写真 中途半端な地方都市に生まれてしまったこと。親きょうだいと気が合わないこと。根拠のない自信しかなくて、それさえもぐらつくこと。10歳で初めて銀座にでてきて、猛烈に焦った。とにかく東京にでないと話にならない、と。早く早く、東京に行かなきゃ、とじれるけれどもまだほんの子どもなのでなすすべもなく、ただただ不機嫌だった。授業中のねむたい教室が永遠に思えて吐きそうになった。高校を卒業するまで何とかやり過ごした。青春を謳歌した覚えはまったくない。

上京して目指したのは現代美術家。小さいころから母親が熱心に美術館に連れて行ってくれたけれども、名画を見ると、「こんなすごいひとたちがやりつくしているのに私の出番ないじゃん」と、すぐにあきらめた。あるとき日比野克彦さんの作品を見て、こんなに自由にやっていいんだ!じゃあやる!美術で世界を変えられると本気で思っていたのだ。画廊でグループ展を開いても、来るのはひと握りの知人だけ。こんな小さいサークルでは世界を変えられるはずもない。また、じれじれが始まった。そんな時、友達が読んでた広告批評にリクルートの求人広告が載っていた。
こっそり本屋に買いに走った。応募資格に“自分に自信があるひと”とあったから。他になんの資格ももっていなかったけれど。

リクルートで働くのは楽しかった。私は完全に亜種だったけれど、いい意味で目立った。

学歴が高く、ひとの良い同僚たちは生意気な私に優しかった。じゃんじゃんばりばり働いて、毎週の締め切りをこなして、飲みに行って。楽しいけれどアウトプットが多すぎて、大根おろしの最後に残ったちびた大根みたいな気持ちになった。同僚と遊びで作った社内報に、お局さまをもじった漫画を描いたら、それがみんなにウケた。そうだ!これでいいんだ!と思った。「漫画家になりたいので辞めます」と上司に報告したのが28歳。漫画をちゃんと描いたこともないのに。

そうして、36歳。赤ん坊を抱えて途方に暮れた私は、自我を手放した。あんなに後生大事にしていた「わたし」をあっさりと。優先順位のいちばんが息子。「息子をよろしくお願いします」新人アイドルのマネージャーみたいに、ぺこぺこ頭を下げた。ちゃんとした人から、叱られるんじゃないかといつもこわかった。赤ん坊を連れていると、知らない人から話しかけられる。親切ごかしにするっと注意される。「薄着させすぎよ」「いつまでも母乳あげてちゃだめよ」その頃の私は防御力が低下していた。なんでもっとうまくできないんだろう、と、いつも半べそをかいていた。

「あんたね、女がみんなあんたのお母さんみたいにしてくれると思わないほうがいいよ」
ママ友が息子に言い放った。小学校最後の春休み、ママ友とその娘、私と息子でアメリカ旅行に出かけた先のホテルで。なんでも用意してあげる周到さが息子をダメにする、と彼女は言う。1週間のアメリカ旅行に持っていったのは中くらいのトランク1個。持ち物リストをイラストでおこし、必要なものを小分けに詰めていったので、必要十分だった。
むしろ大きなトランク2つで来た友だち親子に湯沸かし器やバンドエイドを貸してあげて驚かれた。たしかに彼女の言うとおりだ。これからは自分の人生にハンドルを切ろうと思った。

49歳の専業主婦。あと10年本気でがんばってみよう、と思ってもういちどビジネスの世界に飛び込んだ。

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